2010年9月17日金曜日

国保料引き下げを求める



今日、定例会の一般質問にたち、国保料は過去2年間で14億円の黒字、全道主要都市で最も高い国保料を引き下げるべきと西川市長に求めました。

これに対し、市長は「道内主要都市や他の医療保険制度と比較しても高いという実態、市民の感じている重い負担感を充分に受け止めたうえで、来年度予算に当たっては具体的に保険料軽減を図る努力をしていく」と答弁しました。

旭川市の国保料は三人世帯で年間200万円の所得があると国保料は実に45万円(介護支援分含)にもなります。

国保制度の改善は、私の主要なテーマの一つです。

2010年9月7日火曜日

作柄調査


 6日、真下道議と市議団は、市内の水稲、野菜などの作柄調査を行いました。

藤田旭川農政部長や上川農業改良普及センターの和田係長さんらから説明を聞きました。

水稲は、「なんとか平年並みの収穫が期待できるのでは」とのことでしたが、今年の異常な暑さは水稲にも野菜にも影響を与えているようでした。


野菜農家の森谷さんは、「20年やっているが、今年のようなことは初めて、セロリの収穫が悪い」、「トルコキキョウにも影響が出ている」と状況を説明してくれました。

2010年9月4日土曜日

高等養護学校を旭川へ


障害をもつ子どもが中学を卒業すると小平、雨竜、美深などの高等養護学校に入学し寄宿舎生活を余儀なくされています。、道立の高等養護学校を旭川へ・・・・全市民的運動が広がっています。

9月3日、真下紀子道議と日本共産党市議団は、西川市長に「仮校舎などの選定を急ぎ、旭川への誘致にいっそう力を入れた取り組みを」と申し入れました。


西川市長も「年内がヤマ場、何としても旭川に誘致したい」と述べていました。

2010年8月29日日曜日

健康まつりで・・・


 8月29日、勤医協一条通り病院の健康まつりで挨拶をさせていただいた後、各地域の友の会の売店で食べたり、買い物をしたり・・・・美瑛友の会の店ではメロンを買い求めました。

 患者さんや職員の皆さんなどと楽しいひと時を過ごしました。

2010年8月22日日曜日

「健康まつり」で楽しむ

 22日、昨晩の大雨をまったく感じさせない好天の中、勤医協北医院の健康まつりが開かれ参加しました。オープニングは地域の北星中学校の合唱部、吹奏楽部の熱演に聞き入りました。

 会場内は、各地域の勤医協友の会の方々が売店を出し賑わっていました。

 私も「おでん」「うどん」などを口に入れ、他にもいろいろと買い物をしながら楽しみました。

 大勢の人でにぎわう「お祭り」・・・・本当に良いものですね。

2010年8月19日木曜日

「悲憤の島から」を読んで・・・2

「軍隊は住民を守るのか考えてください」・・・東京都内で開かれた市民講座で、受講生に問いかける小学校教諭の牛島貞満さん。祖父は、旧日本軍の沖縄守備隊約10万人を率いた牛島満・陸軍中将だといいます。牛島さんは、94年夏のある出来事をきっかけに毎年のように沖縄に足を運び、祖父・牛島満さんを知る人を訪ねたといいます。「優しかった」と言う人、「軍に豪を追い出され怖かった」と経験を話す人・・・・。牛島中将は、住民が避難する南部へ軍を撤退させる命令を下したため、多くの住民を戦闘に巻き込んだとされ、兵士には玉砕するまでゲリラ戦を強いたとされている。そして「悲憤の島から」という新聞記事は、牛島さんが「優しい祖父がなぜ非常な命令を出したのか」その足跡を追い、たどりついた結論は「軍隊は住民を守らない」だったといいます。牛島さんは「祖父を通じて知った沖縄戦を次の世代に伝えるのが私の仕事」として、東京の子どもたちに沖縄戦を教えるようになったと結んでいます。

この3回の連載記事は、戦争と軍隊、そして住民とを非常にリアルにそして分かりやすく描がかれている。心に深く残る内容でした。

戦争・軍隊とは・・・毎日新聞の「悲憤の島から」

 8月16日~19日の3日間にわたって掲載された毎日新聞の「悲憤の島から」を読み、改めて戦争の悲惨さを感じた。米軍の捕虜となって敗戦を迎えた野村さん・・・沖縄の収容所から真っ赤な夕日を眺め「生き延びた」と実感したという。しかし、兵士の自分が生き残ったのとは裏腹に、多くの住民が集団自決で死に追いやられたことを思うと心がうずいたといいます。77年に座間味村長からの案内を受け村が主催する慰霊祭に参加するため、「島の人に恨まれているかもしれないと」足を運べないでいた沖縄を訪問。慰霊祭で島の人たちに「申し訳なかった」とわびる野村さんに、島の人たちは「玉砕は国の教え、兵隊さんが悪いわけじゃない」と、責めはしなかったと振り返っている。

 郷土の沖縄で米軍と戦った伊禮さん、終戦の年の6月に右足を負傷し、上官から「負傷兵は邪魔になる」と言われ豪から追い出され上官を恨みながら負傷兵のいる別の豪まで迫撃砲の雨の中、約300㍍を一晩かけた這うように歩いたといいます。その伊禮さんも8月の終戦間際に、米軍の攻撃を受け豪から逃げ出すと住民4人がついてきたことから、うろたえる住民と一緒にいると殺されると思い「ついてきたらぶった切る」と足手まといの住民を突き放し「今度は自分が沖縄の民を見捨てていた」と振り返っています。そして、「戦争は人間を人間でなくしてしまう、二度と故郷を戦場にしてはいけない」とも。

2010年8月15日日曜日

占冠村にある癒しの喫茶「森のふくろう」


 15日、占冠村に行き、お昼を「喫茶 森のふくろう(写真)」で食べました。この喫茶は、私が小学4年生のときの担任だった相川先生が定年後、ご夫妻ではじめたもの。季節の定食は山菜のてんぷら中心にくボリュームもありおいしさ抜群。料理は奥様が腕をふるっています。
 相川先生から村の資料を見せてもらい、また、ゆっくりした口調で話などを聞かせていただくなど、癒しの時となりました。

 高速が試験的に一部無料化されていることもあり、占冠ICは車の列。村にある道の駅の駐車場は満車の状態。

 人口1千300人ほどの村で見る車の渋滞・・・・・。
 国政の影響を小さな村で垣間見ました。

 

2010年8月13日金曜日

周りの人も黙っていられない税務部の対応?

 12日、ある下宿の管理人という面識のない方から連絡をいただきました。

「下宿している人が市から差し押さえされて困っている」と言います。それも「先月、先々月は給料を半分押さえられ、今月は全額で生活できない状況だと・・・・」云うのです。

 「本人から直接話を聞きたい」と言って、お盆休みに会うことにしました。

 間もなく、別の方から電話がありました。「市税を分割で払っていて残高も減ってきているのに、市の態度が強硬で困っている人がいる・・・」とのこと。見るに見かねて、周りの人が連絡してくれたのでした。この方とも会う約束をしました。

 最近、こうした相談が増えています。収入が減り市税等(国保料含めて)を滞納する人が増えています。滞納すると高い延滞金がつきます。そのペナルティを承知しながら滞納せざるを得ない人が圧倒的です。
  
 収入が少ない人にとって「払いたくても払えない」重い負担こそが問題です。
 力任せだけの対応では、根本的な解決とはなりません。

経済力に応じてどのように滞納を減らしながら解決していくのか・・・・心を寄せながら市として対応することが必要です。

2010年8月12日木曜日

「ゆめぴりか」などを開発した上川農試を訪ねる


 11日、小雨の中を真下紀子道議と上川農業試験場を訪ねました。コメ作りの北限と言われた地域で、どのように過酷な気象条件のもとでも育つおいしい米を作る努力をしてきたのかをお聞きしました。そして、「きらら397」「ほしのゆめ」、最近では「ゆめぴりか」へと成果が結び付いた菊池場長さんの話に聞き入りました。

 こうした貴重な研究機関も、国の事業仕分けや道の財政事情などの影響に直面しており、ただ事でないの思いを強くしました。

 「ものづくり」を大事にしないつけは、将来必ず私たちにしわ寄せしてくることになるでしょう。そうならないために、人を大事に、モノづくりを大事にする声を広げなければ・・・・・・。

2010年8月11日水曜日

25年前の日航123便の墜落原因のナゾ


 毎年、この時期になると1985年8月12日に、群馬県御巣鷹の尾根に墜落した日航123便のことが報じられます。524人を乗せた日航ジャンボ機が相模湾上空で操縦不能となり、御巣鷹山の尾根に墜落、4人が救助されたものの520人が亡くなられた大事故。

 今年も報道を聞いて、急いで本棚を探すとありました。日航のパイロットだった藤田日出男さんが2003年に書いた本「隠された証言」が。


藤田氏は内部告発者などからの資料をもとに、いくつもの疑問を投げかけています。


 墜落場所が二転三転し、発見されたのはレーダーから消えてから約16時間後と救助が大幅に遅れました。それでも奇跡的に4人が助かりました。

 しかし、レーダーから消えた2時間後には、現場上空に自衛隊のヘリが到着していたと云われ、埼玉県警、長野県警のパトカーからも目撃情報が寄せられたが、なぜか氏名不詳の目撃情報だけが優先され事故現場特定まで振り回されたのはなぜなのか・・・


 また、事故の原因は圧力隔壁の破損から垂直尾翼が損傷したことによるものとされた。そして、このジャンボ機の特別の理由(以前修理した時の修理ミス)によるものとされた。

 これが原因なら急減圧が起きているはずなのに、生存者からは急減圧のときに生ずる急激な温度の低下、酸素マスクなしでは意識がはっきりしないなどの説明はなく、急減圧はなかったという証言さえあったのに結論に反映されなかったこと・・・などなど。


そして、事故を起こした機が、過去に修理をしていてその修理ミスとしなかったら、ボーイング社の600機以上のジャンボ機全体の問題となってしまうことを恐れたからではないか・・・・と推理しています。


多くの犠牲になられた方々のためにも、真実が明らかになることを願っています。






  

2010年8月8日日曜日

パークゴルフに誘われて・・・


 8日、民商の支部のレクレーションに誘われて芦別へ。パークゴルフ→温泉→食事→休憩の予定でした。雨はやんでいましたが、コースではボールが転がりません。時には「バシャ!」と音を立てて水の中に。湿原地帯のような状態のため5ホール回ったところで私たちの組はリタイヤしました。
 しかし、一緒に行った人の中には、18ホールすべて回った人もいましたから、たくましいこと。
 温泉とおいしい料理でたっぷり息抜きができて満足でした。

2010年8月6日金曜日

65年目の広島・・・・・


 6日朝、記念式典での秋葉広島市長の平和宣言を聞き感動しました。「核兵器のない世界を一日も早く実現することが私たち人類に課せられた責務とし、「いまこそ日本政府の出番です」と核廃絶に向けて先頭に立つために「非核三原則の法制化」「核の傘からの離脱」、「高齢化した被爆者へのきめ細かな優しい援護策の実現」を求めていました。

 お昼のテレビでは管首相が記者会見で「核抑止力は必要」と改めて述べていたことが放映されていました。広島市長と日本国総理の平和に対する対照的な映像でした。

2010年8月3日火曜日

「第52回自治体学校in福井」に参加


 7月31日~8月2日、福井市て゜開催された「第52回自治体学校」に参加しました。
 連日34℃の暑い中での研修になりました。

 民主党政権のもとで自治体行政がどのように変えられようとしているのか・・・「地域主権」改革と地方自治のあり方など、暑い中で熱い課題について研修してきました。

福井市の名勝訪ねる


 自治体学校が始まる前の時間を利用して、福井市立郷土歴史博物館と養浩館庭園へ足を運びました。(写真右)
午前の時間帯でしたが、すでに25、26度を超す暑さ。
 そして、自治体学校の一日目に参加しました。

 帰りは福井の「第57回フェニックスまつり」で中心部に向かう電車、バスが交通規制のため、トコトコ歩きながら中心部へ。
 その途中、まつりの踊りを見物しながら歩きました。
 中心部では、YOSAKOIも始まるところ・・・・・。北海道大学のチームも参加していましたので応援も。このチームは最後に「赤フン」の姿で見物客を沸かしていました。








 

2010年7月27日火曜日

市民広報誌「あさひばし」に関する質疑


 27日に開かれた市議会民生常任委員会で「旭川市広報戦略プラン」について質疑しました。
 市民広報誌「あさひばし」の制作費用等の1年間の委託費約1億1000万円。
 委託費の中には企画、取材費、印刷・製本など複数の費目が含まれており、最も大きなウェイトを占めるのが印刷・製本費用です。
 これらを旭川市から一括して受注しているのが日本最大、世界でも5本の指に入るといわれている大手企業グループです。
 広報誌「あさひばし」の印刷・製本は、この大手企業から地元の印刷業者に再委託されています。

 私は、「広報誌の企画・編集と印刷業務は分離発注することが望ましい」として、担当の市民生活部長に見解を求めました。
 部長は「一括発注のメリットもある、一方、経済効果等では地元企業への発注も望ましい」と述べ、私の指摘には今後検討していくと答弁しました。

 中小企業は地域経済を支え雇用の受け皿としても役割を発揮しています。せめて、市政と市民を結ぶパイプとも言われている市民広報誌については、その印刷業務を地元企業に直接発注すべきです。

2010年7月24日土曜日

市議団として税務部に申し入れ


 7月23日、日本共産党市議団は強権的な市税、国保料の徴収を改めるよう税務部長に申し入れました。市民から「期限内に納付しないと差し押さえすると云われ困惑している」との相談が相次ぎ寄せられていることを重視し、この日の申し入れとなりました。

 申し入れでは、「税務部は預金など差し押さえるものがあれば即座に差し押さえを実施し、預金等がない市民に対してはわずかな給料を差し押さえると云って期限内納付を強要している」と指摘し、改善を求めました。

 税務部長は、「生活実態等を充分に把握し適切な対応を図る」と答えました。

2010年7月20日火曜日

定例の街頭宣伝に


 参院選挙後、地域での定例街頭宣伝をスタートさせました。毎週火曜日の朝、旭町と川端から短時間の訴えをさせていただいています。
 選挙が始まると拡声器による宣伝が制約されることから、選挙期間中はいつも自粛しています。

 この定例街宣には、いつも後援会員の方がお付き合いしてくださり感謝です。

 今日は、「世界の先進7カ国(G7)の中で、過去10年間経済成長が止まった国は日本だけ、原因は働く人の賃金が下がっているために国内消費が伸びないことにあります」と訴えました。
 「働くときは正社員が当たり前」という雇用のルールを急いで確立することが、暮らしを守り経済を成長させる確かな道です。


2010年7月15日木曜日

「差し押さえします」と、むやみに言うべきではない



 14日、旭川民主商工会(旭川民商)が旭川市に要望書を提出し、「市民生活の実態を無視した納付相談を改めるべき」と市長に求めました。私も同席させていただきましたが、現場で起きている実態に改めてビックリしました。

 6月に民商が開いた相談会には、年金生活者や失業者などが訪れ「国保料などの未納分を一括納付しなければ差し押さえすると言われた」、「子どもの部活をやめさせてでも、納付すべきと言われた」、「借りてでも払ってくださいと言われた」等々の相談が相次いだと言います。

 市民の経済状況や生活実態を十分に把握しての対応なのかどうか、極めで疑問です。私も議会で「乱暴な徴収は行うべきでない」と質疑を行ってきましたが、画一的、機械的な対応がなされているとすれば、即刻改めることが必要です。

2010年7月14日水曜日

選挙を終えて街頭から


 参議院選挙では、多くのご支援をいただきましたが私どもの力不足で改選議席をひとつ減らしてしまい申し訳なく思っています。

 13日、早朝、街頭から「ご支援に感謝しています。引き続き、消費税増税にストップ!、くらしと雇用を守るために全力で組みます」と市民にあいさつしました。
 
 通行中の市民やドライバーの皆さんからも激励をいただきました。